ノンフィクション事業承継「継ぐものがたり」株式会社私の部屋リビング 代表取締役社長 木村真一

〜はじまりの街「自由が丘」から〜

ノンフィクション事業承継・継ぐものがり株式会社私の部屋リビング代表取締役木村真一インタビュー
株式会社私の部屋リビング 代表取締役社長 木村真一

「自由が丘」の石畳は語る

ロンドンのダブルデッカーを思わせる赤い路線バスが停車する自由が丘駅前ロータリー
ロンドンのダブルデッカーを思わせる赤い路線バスが停車する自由が丘駅前ロータリー

東急東横線「自由が丘」駅前のローターリーを抜け、カトレア通りを右へ進んでしばらく歩くと、石畳が敷き詰められた小さな通りに交わる。

サンセットアレイのベンチ
石畳が敷き詰められたサンセットアレイ

サンセットアレイ。夕日が美しく映えるこの通りは、どこかヨーロッパの小径を思わせる異国情緒と、洗練された「暮らしの気配」に満ちている。

サンセットアレイの路上風景
サンセットアレイ路上風景は、パリを彷彿とさせる

通り沿いに姉妹のように並ぶ、インテリア雑貨店「私の部屋」と「キャトル・セゾン」。この二店の経営母体である「株式会社私の部屋リビング」こそが、自由が丘を「雑貨の街」とした礎であり、40年以上の長きにわたり街のイメージをつくってきた存在だ

「私の部屋」自由が丘本店。ここから自由が丘のカルチャーが生まれた
「私の部屋」自由が丘本店。ここから自由が丘のカルチャーが生まれた

店舗から1分ほどの本社を尋ねると、出迎えてくれたのは、現社長の木村真一。黒のセットアップをさらりと纏い、一見するとクリエイティブディレクターさながらの佇まいだ。

木村は、プレミアムインテリアのカッシーナやアレッシィ、ファッションブランドのトム・ブラウン、ベーカリーレストランのサンマルクからファインダイニングのアラン・デュカスまで、一貫して「暮らしとデザイン」の最前線で打席に立ち続けてきたプロ経営者である。

私の部屋リビング代表取締役社長木村真一
「株式会社私の部屋リビング」代表取締役社長 木村真一氏。本社会議室にて

「創業が1972年。この自由が丘に今の旗艦店を構えたのは1982年です」

木村が同社の紡いできた歴史を語るとき、先代たちへの深い敬意がにじむ。

ここは木村にとって、学生時代の思い出の地でもあった。目黒通りや自由が丘のショップを巡り、「私の部屋」では「和食器がすてきなお店だなあ」と胸を躍らせた。このオファーが届いたときは、運命的な結びつきを感じたという。

「私の部屋」のすべての始まりは、創業者・前川嘉男の存在にある。

フランス文学者としての顔を持ち、『ロートレアモン論』(国書刊行会、2007年)などの著作もあった嘉男は、文学研究を通じて得た人間の本性への理解を、そのまま店づくりへと注ぎ込んだ。

「キャトル・セゾン」の外壁にはフランス文学批評家ジャンコクトーの言葉
「Le seul posible est en nous.(唯一の可能性は私たちの中にある)」が掲げられている
「キャトル・セゾン」の外壁にはフランス文学批評家ジャンコクトーの言葉
「Le seul posible est en nous.(唯一の可能性は私たちの中にある)」が掲げられている

自分の時間の半分を店の運営に、もう半分を商店会との街づくりに費やした彼は、自分の店が儲かるためには、街全体が魅力的でなければならないとの信念から、通りの石畳化を推進し、商店会と二人三脚でインテリアやスイーツの店舗を招聘した。

表層的なトレンドではなく、人の心の豊かさに触れる場所を。その美学が、自由が丘の骨格をつくったといえる。

木村は言う。「自由が丘で『私の部屋の人間です』と名乗ると、街の方々が本当に温かく迎えてくださる。半世紀近く、この会社が街に貢献してきた恩恵を、いま私たちは授かっているのだと日々実感します」

しかし、そんな自由が丘の象徴とも言える老舗ブランドにも、コロナ禍という未曾有の嵐が吹き荒れた。

歴史ある「私の部屋」の静かなる停滞

「本当に、コロナの時期は苦しかったです。業績が低迷し、とにかく出ていくお金を節約しながら、守りに徹するしかありませんでした」

平成元年の入社以来、37年にわたり現場から会社の変遷を見つめ続けてきた広報担当の中村日代は、当時の重苦しい空気をそう振り返る。

創業者・嘉男から2002年にバトンを引き継ぎ、20年以上にわたって会社の舵取りを担ってきたのが息子の前社長・前川睦夫(現・最高顧問)だった。彼が守り育ててきた全国チェーンの強固なビジネスモデルは、コロナ禍では徹底した「守り」の姿勢で耐え抜くことを余儀なくされた。

(右)「株式会社私の部屋リビング」広報担当 中村日代氏
(右)「株式会社私の部屋リビング」広報担当 中村日代氏

そんななか、2025年2月、会社は大きな転換期を迎える。家業を牽引してきた前川睦夫は、ブランドの誇りと従業員の雇用を守るため、外部へ一括して会社を売却するのではなく、従業員自身が会社の共同オーナーとなる新しい承継を通じた「従業員承継」という、未来のための決断を下した。

Teamsharesという事業継承投資会社から届いた新しい風

「Teamshares」のコーポレートサイト
「Teamshares」のコーポレートサイト

「投資会社」と聞くと、どこか冷徹で、短期間での利益回収を求めるようなイメージがあるが、米国からやってきた「Teamshares(チームシェアーズ)」という事業継承投資会社はいわゆる「ファンド」ではない。

「彼らの特徴は、スモールビジネスに特化して事業継承をし、ファンドのようにエグジットせず事業会社としてもちつづける点にあります」と木村は解説する。

米国での投資実績の大半は、売上3億〜10億円規模の小さなレストランやファミリービジネスだ。大手ファンドがターゲットにしない小規模の企業に寄り添い、まずは現場の声を丁寧にヒアリングして並走するスタイルを持つ。

そのTeamsharesにとって、日本における第1号案件となったのが「株式会社私の部屋リビング」だった。「当時のグループ全体を見渡しても、年商30億円を超える規模の案件はうちしかありませんでした。Teamsharesにとっても、異例の最大規模のチャレンジだったのです」。

さらにユニークなのは、数年をかけて従業員一人ひとりに無償で自社株を移行していく「従業員株主制度」の導入だった。社員みんなで未来を担っていく、日本では稀有な試みである。

当初、日本のスタッフの間では「株をもらってもよくわからない」「怖い」という戸惑いの声もあったという。「説明会を重ねるうちに、自分たちの工夫が会社の成長となり、それが直接自身の資産に繋がっていく仕組みだという理解は進んだように感じます。これから、事業が成長していくにつれて、社内の目線は少しずつ変わっていくだろうと思います。」と木村は変化を感じている。

「経営者と現場が同じ景色を見る」ための、新しい仕組みが動き出したのだ。

新社長がやってきた!エプロン姿で店頭へ

私の部屋店内の木村真一
「私の部屋」自由が丘本店内にて

「インテリアの業界は私の最初のキャリアでした。私の部屋リビングは知っている会社でしたし、またインテリアの業界に戻れるということで、まさに自分のためのプロジェクトだと思って、ぜひやらせてくださいと手を挙げました」

2025年7月1日、彼は新しい風として、この老舗企業の代表取締役社長に就任した。

「青天の霹靂でした」と広報の中村は笑う。「これまでは家族的なイメージが強かったところに、木村社長がいらっしゃった。そのスピード感とバイタリティーには、最初はみんな振り落とされそうになりました」

木村が着任直後、真っ先に行ったのは「現場に入ること」だった。首都圏の店舗へ自ら足を運び、エプロンを着けて店頭に立った。長年働くスタッフたちにとって、すっかり見慣れて「風景」のようになってしまっていた売り場。そこへ、木村は自分なりの「お客様視点」の提案を投げ込んでいった。

「最初は戸惑いもありました。でも、言っていることがあまりにも真っ当だったんです」と中村は振り返る。「守りから攻めへ。社長と一緒に、私たち自身も『しっかりお客様の方を向こう』という意識に変わっていきました」

木村は着任からすぐ、お客様の潜在的な要望を可視化するためのリサーチを敢行した。「かつての私の部屋は、もっと新しい提案をしてくれる店だった」。その声を掬い上げた木村は、正式な社長就任までの半年の間に、ハイスピードで具体的な施策を決めていく。

スープの冷めない距離で

「株式会社私の部屋リビング」本部
「株式会社私の部屋リビング」本部。共有ビルの2階を占有する

自由が丘の店舗から、歩いてわずか1分ほど。カトレア通りを見下ろすビルの2階に、「私の部屋リビング」の本部事務所はある。

「店との距離感が近いということは、店舗経営において何よりも重要です」木村は、断言した。

「これが例えば、駅の反対側だったり、別の街に本部を移してしまったりするだけで、本部の人間が現場に足を運ぶ頻度は劇的に落ちてしまう。わずか100m離れるだけで、現場の空気が伝わらなくなり、本部の打ち手が空回りし始める可能性があると思います」

この「スープの冷めない距離」ならば、すぐに現場へ駆けつけられる。リアルな現場感覚があるからこそ、本部の繰り出す施策がお客様の需要と乖離しにくいのだろう。

かつて創業者・前川嘉男も、毎日必ず1回は店舗へ足を運んでいたという。「答えは、絶対に店にある」それは、老舗のDNAそのものでもあった。

店舗を知っている、愛着が組織の強さ

「キャトル・セゾン」自由が丘本店「キャトル・セゾン」自由が丘本店
「キャトル・セゾン」自由が丘本店

「私の部屋リビング」の強さは、本部の専門職を除くメンバーのほとんどが、元々はショップの店頭スタッフとして入社しているという点にある。

広報の中村も、京都や神戸の店舗スタッフからキャリアをスタートさせた一人だ。「みんな、いざとなれば、いつでもお店のサポートに入ることができる人間ばかりです。店舗とブランドへの愛情の深さが違います」

木村はこの「誠実で、ブランドへの愛着に満ちたカルチャー」を、経営者として何よりもラッキーなアセットだと感じている。

「オペレーションの基礎がこれほどしっかりしているからこそ、あとは『新しい提案』という武器を準備すれば、潜在的な需要は必ず伸びるという確信がありました」

私の部屋の商品
「私の部屋」自由が丘本店にて

木村は、リサーチ結果をもとに即座に取り組んだのが、1987年に誕生した姉妹ブランド「キャトル・セゾン」の復活だ。「自然を感じながら豊かに住まうパリの暮らし」という世界観を持つブランドである。

コロナ禍や円安で縮小していたフランスからの直輸入商材の比率を再び引き上げ、原点であるコンセプトを強化した結果、この春、既存店の前年比売上を大きく上回るという明確な成果となって、早くも手応えが現れ始めている。

インテリア雑貨の競合が激増した今の時代だからこそ、創業の原点に立ち返り、我々にしかできない価値を提供すること。木村の仮説は見事に的中した。

「私の部屋」についても、顧客からの期待値の高いダイニングやリビングのテキスタイル領域において、オリジナル商品の開発をスタートさせた。

「攻めれば、応えてくれる」。最高顧問となった前川睦夫も、月に一度の経営会議や大切な取引先との橋渡しを通じて、この新しい攻めの姿勢を温かく後押ししてくれているという。

55周年へ向けて

店舗のあるサンセットアレイと、本社のあるカトレア通りの交差点に佇む木村真一
店舗のあるサンセットアレイと、本社のあるカトレア通りの交差点にて

「歴史というものは、決してお金では買えない最高のアセット(資産)です」と木村は言う。

2027年に「私の部屋」は創業55周年の大きな節目を迎える。木村はこの記念すべき年に向けて、店舗の大幅なリニューアル計画を水面下で進めている。

自由が丘の街もいま、駅前の再開発や、若い世代による「映画祭」の立ち上げなど、文化の街としての新しい胎動を始めている。木村率いる「私の部屋リビング」もまた、街の有名スイーツブランドとのコラボフィナンシェや、自由が丘生まれのメガネブランドとの限定バッグ、自由が丘の丘ばち(蜂蜜)とのコラボなど、この街の仲間たちと共に新たなカルチャーを発信し、街の熱量を上げている。

「老舗であり続けるためには、常に新しくなり続けなければならない」

かつての資産にあぐらをかくのではなく、伝統を守りながらも、常に時代に寄り添うアップデートを止めないこと。それこそが、次の半世紀へ繋ぐ唯一の道だと木村は確信している。

「来年は、数字の成長だけでなく、私たちが取り組んできたことがこうして形になるんだという手応えを、全スタッフに肌で感じてもらえる一年にしたい。そうすれば、みんなが『よし、もう一歩やってみよう』と、もっと大きなパワーが湧いてくるはずですから」

はじまりの街・自由が丘の石畳の上を、木村という新しいリーダーと、ブランドを愛する従業員たちが、確かな足取りで走り抜けていく。

その先にはきっと、誰も見たことのない、けれどどこか懐かしい「暮らしの未来」が広がっているはずだ。

台湾席茶 蓮月庭
木村氏お勧めランチの「台湾席茶 蓮月庭」エントランス

株式会社私の部屋リビング概要

会社名:株式会社私の部屋リビング
代表者:代表取締役社長木村真一
所在地:東京都目黒区自由が丘 1-24-17アルテリーベビル2F
主な業務内容:生活雑貨・インテリア用品の企画、リテール事業、フランチャイズ事業
設立:1973年5月(創業1972年)
URL:https://www.watashinoheya.co.jp/04_corp/

Teamshares合同会社

会社名: Teamshares合同会社(チームシェアーズ)
代表者: ケビン・力雄・椎葉(Kevin Rikio Shiiba)[グループCTO 兼 日本代表]
所在地: 〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-2 東京サンケイビル27階
主な業務内容: 中小企業の事業承継支援、および「従業員承継実現モデル」の提供
設立: 日本法人は2023年10月設立(※米国本社の設立は2019年1月)
ご登録からご紹介までの費用は一切かかりません。


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