現在はスタートアップの取締役と政府系のアドバイザー5社の顧問と社外取締役を務めています。これまで多いときは4社のスタートアップの支援に同時に関わっていました。この年齢でもお声がけいただいて本当に有難いことだと思っています。
―――――仕事キャリアのスタートは調理師だそうですね。
はい。調理師の専門学校に通って、はじめに調理師として仕事に就きました。熱海の大手ホテルや銀座のイタリアンに務めていたんですが、自分では納得できない理不尽な点があって、新聞の求人募集で未経験可となっていた金融サービスの会社に応募して就職しました。すると料理の世界で感じていた「人の心はわからない」という曖昧な感じが、この業界ではすっきりしていて。金融系ですからすべてが数字で「数字はわかりやすい」という感覚が面白くって、楽しみながら無我夢中で働いていました。当時、アメリカの企業と一緒に動くプロジェクトにも自ら手を挙げて参加したんですが、その時にアメリカのキャリアの考え方や取り組み方を知ることもできたんですよね。向こうでは自分の情報を積極的に打ち出す考え方じゃないですか。まだSNSはない時代でしたが、自分を発信することがいかに大事なことなのかについてその時代に学びましたね。もちろん仕事でも自分の幅が広がりました。プログラミングを見よう見まねで覚え、統計モデルやアルゴリズムにも興味を持って、すっかりこの仕事の面白さに気付いたというか…刺激だらけの日々で、17年勤めました。
―――――その後はずっと金融系なんですね。
そうですね、それこそ「数字はわかりやすい」が面白くって。ただ、当時、日本の企業って昇給が39歳までだったんですよね。最初につとめた会社から、もっと挑戦したいと日本の大手貸金業の企業に転職して、その次に最初の会社で一緒に動いていたアメリカの企業の方にお声がけ頂くなどのご縁があって外資系金融のGEや東京スター銀行、SBIなど幾つか勤めさせて頂き、最後にリクルートさんに59歳中途で入社して二年ほど勤めた後、今のような働き方をしています。
―――――転職のきっかけは?
ありがたいことにお声がけ頂くことが多いんですが、やりたいことがあってチャレンジした転職もあります。東京スター銀行での仕事はとても充実していたんですが、働いているうちにアイディアが沸いてきて。それを実現させてみたくてSBIに転職したんです。やりたかったことは、日本初のインターネットでの貸金業というものなんですが、当時、貸金業は対面が基本で、全部紙ベースでお金を貸していたんです。アメリカのフェア・アイザックっていう会社が、信用リスクを軽量化するモデルを作ってコンサルティングなどを行っているのを知っていて、それで そういったものを使ったビジネスをやっていきたいなと思っていたんです。結果的に、SBIで日本初のインターネットで完結する融資システムを提供して、個人のリスクを定量化することに成功することができたんです。この経験は本当に自分にとって大きいものです。リスクを取ったからこそリターンがあるっていういうことについて、転職を通じて感じましたね。
―――――様々な環境に身を置かれている中で拘っていること。
仕事をするにあたって、ステークホルダーをしっかり自分で抑えることが大切だと思っています。 この人に聞かないと全てがわからないとか、状況に応じてキーパーソンとなる人が仕事をする中で必ずいるんです。成果を上げるために、必ず関係を維持しとかなきゃいけない人たちですよね。その人としっかりコミュニケーションが取れるように、そのマネジメントっていうかグリップするっていうのはすごい大事で、全体的なチームマネジメントみたいなのを自分で作って動くことは、すごく大事だと思っています。今は嫌がられるような飲み会でのコミュニケーション含めて、その人その人に合わせて関係を作ることは意識的にやってきました。
―――――シニア世代で活躍する上で大切になることは?
最初はやっぱり、キャリアの棚卸しをすることだと思います。○○会社勤務、課長、部長とか。これって仕事の中身全然わかんないじゃないですか。そうじゃなくて、その課長の時にどれぐらいの人数の人を管理したかとか、どういうプロセスの仕事を管理していたのかとか、具体的にどんどんしていく。これってすごく長時間かかるんですけど、 その棚卸しを具体的に綺麗に説明していくと、自分が結構いろんなことできるって気が付けるんですよ。自分自身の本気の棚卸しを是非していただきたいなって思います。自分もそれでかなり整理がついているんです。というのも、最初に長く務めた貸金業会社時代に、アメリカのキャリアの示し方がこれだって、英文のレジュメを見て教わったんですよね。以来、一年に一度はちゃんと整理するようにしていて、そうするとどんなタイミングでも、入りたい会社に対して自分はこういった役割を果たせることが示せるわけです。データ、数字がそうですけど、要は見ればわかることであって、棚卸し自体も、自分のやってきたことをしっかりと可視化するっていうこと。私のような世代は、比較的口下手な人が多いと思うんです。口下手でもいいんですよ、成果をしっかり自分で可視化すればいい。この時代にはSNSもあるし、いろんな形でそれを打ち出していくことが重要だと思います。
編集後記
石井さんは調理師から金融業界への転身だけでなく、53歳から二年間、息子さんとしていた約束を果たすためロックバーを経営するという期間もありました。華麗なビジネスキャリアに一度ブレーキをかけてでも息子さんとの夢を実現したそのエピソードからも、石井さんが多くの人々と真摯に向き合う人間としての魅力が伝わってきました。現在も多くの企業から声がかかる背景には、ビジネススキルだけでなく、人としての魅力も大きく影響しているように思います。