
~「会社の看板」も「スキル」も捨てていい。70代で見つけた“最強の武器”とは~
「今年は海外出張に6回、国内は30回くらい行きましたかね。もう、楽しくてしょうがないんですよ」少年のような笑顔でそう語るのは、野口雄志氏(72歳)。
かつて某物流会社の常務理事・CIO(最高情報責任者)としてIT部門を率いた野口氏は今、企業の講演やセミナーで全国を飛び回り、多くのシニア世代を熱狂させています 。なぜ、彼は70代を超えてなお、これほどまでに求められ、現役時代以上に輝いているのか。 弊社代表の高橋啓が、野口氏の「現在の楽しそうな姿」の源泉と、高卒入社から役員へと駆け上がった「反骨のキャリア」に迫ります。

目次
- 「お前に使う金はない」高卒・貧乏からのスタート
- 米国で掴んだ「楽しく働く」哲学。結果としての「うつ病ゼロ」
- 「会社の看板」を捨てて初めて気づいた、本当の資産
- 70歳、「IT」すらも捨てる。「人間力」と「心理学」へ
1|「お前に使う金はない」高卒・貧乏からのスタート
高橋: 野口さん、今日もお元気ですね。お聞きしたところによると、国内外をものすごい頻度で飛び回っているとか。
野口: ええ、ありがたいことにね。72歳になりますが、今は人生で一番楽しいんです 。同世代からは「そんなに働いて大変だな」なんて言われますが、とんでもない。 私は「人生はずっと右肩上がりだ」と本気で思っているんです 。
高橋: 「人生はずっと右肩上がり」。そのエネルギーはどこから来るのでしょうか?
野口: 私は今、過去の肩書きではなく「自分自身」として生きていますから。講演では「働き方」や「人生の楽しみ方」についてお話ししていますが、私の楽しそうな姿を見て、若い人たちが「歳をとるのも悪くないな」と思ってくれたら最高ですね 。
高橋: 今でこそグローバルに活躍されていますが、キャリアのスタートは決してエリート街道ではなかったそうですね。
野口: 全然ですよ。家が貧しくて、6人兄弟の末っ子だった私は、親父に「お前に大学に行かせる金はない」と言われて(笑)。それで高卒で大手物流会社に入社しました。配属されたのは、当時まだ黎明期だったコンピューター部門。巨大な計算機と格闘するプログラマーからのスタートでした 。
高橋: 高卒での入社。プログラマーからのスタートだったのですね。
野口: はい。その後5年目くらいに「コンピューター室にいるだけじゃダメだ」と思って、志願して営業に出たんです 。それも海外引っ越しの営業です。 これが面白くてね。作業服を着て、現場でお客様の荷物の梱包作業まで一緒にやりました 。そこで「現場の汗と涙」を知ったことが、後にIT部門に戻った時、現場目線の使いやすいシステムを作る基礎になりました 。

2|米国で掴んだ「楽しく働く」哲学。結果としての「うつ病ゼロ」
高橋: その後、米国駐在を経て役員になられましたが、野口さんが帰国後に取り組まれた組織改革について教えてください。
野口: 米国のトップとして赴任した時、「人生も仕事も、苦しんでやってはいけない。楽しく働いてこそ成果が出る」と痛感しました。しかし54歳で帰国したら、日本のオフィスでは部下が「上司が帰らないから帰れません」という顔で働いていた 。これでは成果など出るはずがない。だから私は、IT部門のトップとして「楽しく働く」ことを徹底的に推奨しました。上司には黙って勝手に改革を進めて(笑)。
高橋: 改革ですか。何か変わったのですか?
野口: ええ。私が担当した7年間、IT部門から「うつ病(メンタル不調者)」が一人も出なかったんです。
高橋: 激務と言われるIT部門。特に野口さんの時代は今から想像が出来ないくらいの・・・。その中で7年間ゼロというのは凄いですね。
野口: 誤解してほしくないのは、「うつ病ゼロ」を目標にしたわけではないんです。ただ純粋に「みんなで楽しく働こう、その方が成果出るから」とやってきた。みんながモチベーション高く働いた結果として、誰も心を病むことなく、業績も上がった。それだけの話なんですよ。

3|「会社の看板」を捨てて初めて気づいた、本当の資産
高橋: 野口さんは役員退任後、ベンダーからの顧問オファーを全て断り、ハローワークに通われたそうですね。あえて「会社の看板」を捨てたわけですが、不安はありませんでしたか?
野口: もちろん不安でしたよ。でも、看板を外してハローワークに通っていたある日、元社長から声がかかったり、現役時代にお付き合いのあった社外の方々から仕事の相談が来たりしたんです。
高橋: 看板がなくなっても、人は離れていかなかった。
野口: そこでハッと気づいたんです。現役時代、ベンダーさんや他社の方と誠実に向き合い、議論していたこと。当時はただ一生懸命仕事をしていただけでしたが、振り返ってみると、それが「社外人脈」という強固な資産になっていたんです。
高橋: なるほど。振り返って初めて「自分にはこれがあったんだ」と気づいたわけですね。
高橋: その「社外人脈」という土台の上で、コンサルタントとして活躍するために、どんな準備をされたのでしょうか?
野口: 経験や人脈だけでは、「元●●の会社にいたベテランの昔話」で終わってしまいます。そこで私は、50代の米国駐在時代に取得していた「PMP(プロジェクトマネジメント・プロフェッショナル)」という資格を武器として前面に出しました。
高橋: ここが重要なポイントですね。漠然と資格を取ったのではなく、ご自身の経験を「翻訳」するためのツールとして選んだ。
野口: その通りです。私はマネジメントの経験は豊富でしたが、それを他社でも通用する形にするには「世界標準の理論」が必要だと考え、意識的に取得していました 。 「私の勘です」と言うより、「PMPの理論に基づくとこうです」と言えた方が、私の経験がより生きますから。

4|70歳、「IT」すらも捨てる。「人間力」と「心理学」へ
高橋: コンサルタントとして成功されていた野口さんですが、70歳を機にまた働き方をガラリと変えられましたね。
野口: はい。「ITや物流のコンサルは70歳で辞める」と決めていました 。 現場を離れて10年も経てば、ITの知識は古くなります。だから、最大の武器を潔く捨てました。
高橋: 武器を捨てて、また丸腰になって、どうされたのですか?
野口: 再び自分のキャリアを棚卸ししました。「ITスキル」を剥ぎ取った後に、自分の中に何が残っているのか。 振り返ってみると、私が60年のキャリアで一貫してやってきたのは「いかに職場を楽しくするか」や「人とどう関わるか」でした 。これこそが、私が無意識に積み上げてきた「人間力」という資産だと気づいたんです。
高橋: そこでまた、それを活かすための「道具」を手に入れたんですね。
野口: そうです。私の経験則を理論補強するために、70歳を過ぎてから「上級心理カウンセラー」の資格を取りました。
5|まとめ:野口流・キャリア進化の「3つのフェーズ」
高橋: 今日のお話を聞いて、野口さんの生き様がなぜこんなにも楽しそうなのか、その謎を解く鍵を頂いたように思います。
おそらく、 野口さんは、キャリアを3つの段階で進化させてこられたのですね。
【フェーズ1:習得】(会社員時代)
組織の中で「スペシャリスト」として実績を作る。野口さんの場合、ここを「IT部門を統括する責任者」の実績で完走しました。
【フェーズ2:還元】(独立・コンサル時代)
物流会社の看板を捨て、「IT+社外人脈(資産)」×「PMP(道具)」で、培った経験を社会に還元しました。
【フェーズ3:伝承】(現在)
ITスキルを捨て、「人間力(資産)」×「心理学(道具)」で、次世代に知恵を伝承しています。

高橋: 過去に在籍した会社の看板が捨てられず、あるいは過去のスキルにしがみついてしまう人は多いです。
しかし野口さんは、「振り返って資産に気づく」→「要らないものを捨てる」→「活かすための道具(資格)を学ぶ」というサイクルを回し続けている。だからこそ、「フェーズ3」に到達し、今が一番楽しいと言えるのですね。
野口: そりゃそうですよ。「自分には何もない」なんて思う必要はありません。60年も生きていれば、必ずあなただけの「経験」があるはずです。それに気づき、磨くための道具を手に入れれば、人生はずっと右肩上がりですよ。

おわりに
「人生はずっと右肩上がり。今が一番楽しいんです」──そう屈託なく笑う野口さんの姿は、エネルギーに満ちていました。
まだまだ多くの方が「過去の栄光(フェーズ1)」や「古い知識(フェーズ2)」にしがみつき、変化を恐れる中で、なぜ野口さんは軽やかに「フェーズ3」へと進化できたのか。
それは、彼が自分のこれまでの「経験資本」を信じ、勇気を持って「過去の武器」を捨てることができたからだと思います。安住できる場所や、古びた専門性を手放す。そうして生まれた余白に、今の自分に必要な「新しい学び(補助スキル)」を素直に取り入れる。この新陳代謝こそが、彼を常に輝かせている理由でした。
年齢とともに「純化」し、進化し続ける。そんな野口さんの後ろ姿は、同世代の方にとっては「まだやれる、もっと楽しめる」という勇気となり、下の世代にとっては「あんなふうに歳を取りたい」という希望のロールモデルになるはずです。
年齢にとらわれず、自分の経験を再定義し、新しい価値を生み出し続ける。 私たちは今後も、こうした「進化するプロフェッショナル」の活躍を、世の中に届けていきたいと考えています。